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親愛なる殿下はもう、この世にいない。 だから私はペンをとり、殿下の物語を紡ぐのだ。 0.プロローグ 1.フィーナル王国の朝 2.大時計と時の君 3.鐘撞き堂の君主 4.エピローグ 0 「人は……時の名の下に平等である!」 ある日の議会はフィンの一喝と共に静まり返った。 その日の様子を伝えた新聞各紙の挿絵には、どの新聞にも、ざわめきたつ議会にて勇ましく演説するフィン王女殿下の様子が描かれている。 ざわめきたつ大衆酒場『赤枝亭』、その中でたった一人の黒髪の男がいた。カウボーイハットをかぶった中年で髭面の男はマスターをたずねてくるなり、馴れ馴れしく話を振った。 「この国の王女様はなかなかご立派らしいじゃないか」 ええ。と赤い髪の若いマスターは気の無いような返事をするが、さもそれが当たり前のようにうなずいていた。 その返事だけでも確信したのか、男はくたびれた革袋からスクラップブックを取り出して、おもむろに真ん中のページを開いた。立ち寄った各地で見つけた面白い記事を綴じているんだと男は説明した。マスターは男にちらりちらりと視線を送っては気の無い素振りをする。 錆びた金具が重い腰を上げ、スクラップブックが開かれる。男は自慢の髭をさすりながら、ある日の新聞を取り出した。 日付は半年前のウィークリー・ファイナリアだ。 ファイナリア地方で一番大きい出版社であり、なにしろファイナリアで最初に活版印刷を始めた会社である。一週間の政治の流れ、経済の流れ、事件を伝えるフィーナル王国一の新聞である。 「これだ。この時計塔演説。俺も各地を周ったが、こんな立派なお姫様はいないな。大抵ドレス着て美しさとやらを競ってやがる。毎日大きな鏡に向かって、ドレスとお化粧の相談をしているというのが関の山だ。姫様姫様とちやほやされて、政治にはまったく関心が無い」 それがどうだ、この国の王女は。 男に混じって、いや、男をものともせずに持論を並べやがる。 男は帽子を取って墨の様に真っ黒い髪をかき乱し、興奮気味に話す。 「ええ。我らが自慢の王女殿下です」 いたって冷静にマスターは受け応え、グラスを拭く作業を続ける。 「だろうな。それもまだうら若く、たいそう美しいらしいじゃないか。それこそ鏡に相談するほどケチなことが必要ないくらいな」 おや、と思ったのか、マスターは旅人であろう男の言葉に手を止める。 「国外にもそのような噂が?」 「美人の噂話はある種の伝染病だ。山を越え、谷を越え、砂漠だってあっという間に通り越して、どこまででも広がるよ」 「伝染病とは……あまりよい例えではありませんね」 ふうとあきれた様子でマスターは息をつく。 だが、一つの事実に思い出したように感心した様子で今度は自ら髭の男に声をかける。 「ウィークリー・ファイナリアは国外にも出回っているのですか」 「ああ、俺もあの記事読んだときは感心したぜ。なにしろ活版印刷が伝わっていて、時計が伝わっていない国だって言うんだからな」 どこかで咳払いをした音が聞こえた。 髭の男は構わず続ける。 「今回ファイナリアに来た目的はよぉ、このフィン王女ってのを一目拝んでくることと、この記事の真偽性だ」 熱っぽく語る髭面の男にマスターは軽く笑う。 「どちらもご満足いただけると思いますよ」 マスターの相槌に髭面の男は気分よく豪快に笑う。 会話は一旦終わった。 そこで、髭面の男は自分の声が店に響いていたことに気付いた。 周囲を盗み見れば、興味深そうにちらちらと視線を送る他の客達の様子が窺がえる。 誰も彼もがみんな赤い髪をしていた。 ちっ、と舌打ちをひとつして、ジョッキを空にする。 そのタイミングにあわせてウエイトレスが髭面の男の隣までやってきて、布巾で隣の席を拭いた。男に追加注文をうながす。彼女はショートに切りそろえているが、やはり赤い髪であった。多少、茶色が混じっているが、やはり分類するとすれば赤や橙といった色合いだ。 手を振って、追加注文のないことをウエイトレスに意思表示すると、ウエイトレスはマスターに小さな声で何事か告げた。 その言葉にマスターは一瞬考えこみ、そして旅の男にしっかり体を向けた。 「旅のお客さん」 マスターは声音を変えて唐突に声をかける。 気の無い声ではなく、意思と力のこもった声。 旅の男はその声に何事か期待をし、首を上げ、マスターを見上げる。 「もしよければ、あなたに紹介したい方がいるのだが」 明らかに何かを隠したいたずら小僧の笑み。 男はわけもわからず、 「女ならもう一杯もらおう」 と、ドンとカウンターにグラスを叩きつける。 コツコツとヒールの音が響き、後ろから若い女の声がした。 「マスター、彼に追加を差し上げて」 「かしこまりました」 ウエイトレスが席をひくと、そこは先ほどウエイトレスが拭き掃除をして綺麗になったカウンター席。 真っ赤な髪が腰まで美しく流れ、額には黄色と黒で炎をかたどったバンダナを巻いていた。厚手のパンツスタイル、上着は上品な生地を使った男物に近いシャツであり、胸の上には首からなだらかに吊るされたペンダントが光り輝いている。目には意志の強そうな光が灯り、アイラインがさらにそれを強調する。端正な顔立ちが可愛らしいではなく、美人という言葉を連想させた。 「ご相伴に預からせてもらってもよいかしら?」 男はしばらく彼女の姿に圧倒され、言葉を失う。 やがて、地ビールが満杯まで注がれたジョッキが勢いよくカウンターにドンと置かれると、男は気を取り直し、半開きの口を慌てて閉じ、今度はどうやって開くか忘れてしまったように言葉を探す。 「あら、ご迷惑?」 女が先に言葉を放ち、にっこりと微笑んだ。 「ご懇意にさせてもらっているフレアさんです。フィン王女殿下のお話に詳しい」 マスターは気の無い声どころか、しっかりした声で紹介をする。だが、笑いを堪えているのか、唇の端が妙に引きつっている。 「なるほど……気の利く店だな、マスター」 男はやっとの思いで絞るように声を出す。 「あなたのような旅の方とお話できるから、私はこうやってマスターの店で飲ませてもらってるの」 会話に割って入ってくる女の声にマスターは苦笑する。 「改めてこんにちは。私は商家の娘でフレアというわ」 「おう、いいところの娘さんか。道理で見た目が小綺麗なわけだ。俺の名前は……まあいいだろ。近いうちにここを発つ身だ。いやしかし、あんたえらい美人だな」 「お褒めの言葉ありがとう。お名前の件は、そうね、こういうのを一期一会というのかしら」 小さなグラスに氷を落とした強めの酒を口に流しながら、男の返答を待っているようだった。 「それで、かの有名なフィン王女殿下の話に詳しいのか?」 「ええ。あなたのような方にお話できるようにいっぱい仕込んであるわ。素敵な柄の包装布に包んでお土産にしてあげたいくらいよ。ぜひ旅先でも伝えて欲しいわ」 「ほう、そりゃまたえらく豪華な話だな。いいところのお嬢さんらしい物言いじゃないか。なるほど、それほど良い話なら、各地に周った際の酒の肴にすることを約束しよう。それじゃあ、早速、この記事のことを聞かせてくれないか」 記事を叩いて、男は鼻息を荒くする。 「まかせて。それにしても、どこから話せばいいかしらね……」 フレアと名乗った女はあどけなく首を捻ってみせると、つられて男は笑った。 酒場の窓から宵の空にそびえたつ時計塔の巨大な釣鐘が定刻の鐘の音を響かせる中、その音をしみじみと聞きながらフレアはじっくり思い出すように語り始める。時折見せる、笑顔にまだ幼さがあった。口調が大人びていたので髭の男は気づかなかったが、ようやくフレアがまだうら若き乙女であることを悟った。 それこそ、麗しのフィン王女と同じくらいの。 次へ |
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